脱げない女 |
雨降りで起き抜けから冷えていたので納涼祭には行かなかった。
万年床から腕を伸ばして友人に借りた漫画をひらき、感性をひとしずく貰った気になる。登場人物はみな詩情あふれる台詞を操り、掴みどころがなく可憐である。読み終えてまた眠り、昼過ぎにようやく二足で立つと、古道具屋で700円だった全身鏡に雑な造作をした大女が映って、夢の中で過ごした日々にお前は役者不足だと教えてくれた。
インスタントのうどんを食べ、物足りずに菓子をもとめて角の酒屋へいく。唇を真一文字にしてレジを打つ初老のおかみさんを見ながら、昨晩会った自称アイドルのことを考えた。
場末の飲み屋でツインテールを振り回していた彼女は18歳だそうだが、羅生門で死体の髪を抜いていそうな風貌で声ばかり甘く、しきりに「ほわー」だの「ひええ」だの擬音を発しながら苺シロップのかき氷を食べていた。隣に座る池乃めだかに似た男との距離感がやたらと近い。関係をきくと無所属アイドルを集めて撮影会をやっている“元締め”だという。
「撮影会ってどんなことやるんですか」
「部屋に椅子が置いてあってねえ、座ったり寝転んだりするよ。私服とかコスプレとか、色々着替えてね」
どエロいのもあるよ、と目尻を下げるめだかと、無邪気に頷く老少女。
90分8000円を支払って彼女のどエロい写真を撮りたがる男たちが、この東京に、確実に存在するのだ。撮影会の朝、彼らはわくわくしてカメラのレンズを磨くだろう。そして劣情を耳当たりの良い賛美の言葉にくるんで、フラッシュとともに被写体に浴びせるだろう。その瞬間、たしかに彼女はアイドルだろう。
アイドル産業と性風俗産業は地続きとよく言われるけれど、その境界は本当に曖昧だ。清純派アイドルに性欲を向ける人もいれば風俗嬢に本気で恋する人もいる。特にAV女優に関しては、グッズを売る商法やファンとのコミュニケーションの取り方はアイドルとほとんど変わらないように思う。
先週、はじめてストリップ劇場に行った。新宿ゴールデン街入口の地下にある店で、3000円2時間半制で5人の女性の全裸を鑑賞できる。出演者はほとんどがAV女優。ひとり30分の持ち時間の中でダンスや小芝居を披露しつつ衣装を脱いでゆき、最後は大股開きで回転する。
入場前は「女なのにこういう場所に来ちゃう系の女」を演出していると思われるのではないかと気に病んでいたが、杞憂だった。客の中高年男性たちはステージに釘付けでこちらを見もしない。ただ、出演者側が女性客をどう思っているのかが気になって落ち着かなかった。
満面の笑みをたたえて指で女陰を拡げる彼女たちの顔を直視するのは悪いような気がして、手足の曲線や白いお腹ばかりに視点を合わせる。対価を払っていようと、同性の裸を一方的に消費する側に立つことには後ろめたさを感じてしまう。「私のこと見下してるんでしょ」と言われている気がする。こんなふうに思うのは、彼女たちに対してどんなプラスの感想を述べたとしても(自分は絶対やらないけど)という前置きが付いているのは確かだからだ。
ショーの後には出演者の撮影タイムが設けられており、客は持参のカメラを構えて思い思いのポーズを指定する。自警団気取りで他の客を牽制する常連集団や、目当ての嬢にちょっとした手土産を渡してはにかむ老人がいる。その様子がアイドルのライブ後の光景とあまりに似通っていて、小柄な嬢の横顔が一瞬知っている子に見えた。
一昨年の春から去年の秋にかけて、地下アイドルと同居していた。
その子は男性向け雑誌の中できわどい衣装で寝そべったり、ライブの度に汗まみれのオタクに抱きついてCDを売り、紙袋いっぱいのファンレターやプレゼントや花束を抱えて帰ってきた。
私は彼女を好きだったし、仕事の話や業界の噂を面白がって聞いていたけれど、同時に内心馬鹿にしていた。ほとんど風俗じゃん、よくやるな、と思っていた。そしてまた、自分が軽蔑している何倍も彼女から軽蔑されていると思い込んでいて、常に劣等感に苛まれながら暮らしていた。
彼女は体調を崩したり、理不尽な目にあって泣いたりしつつも何者かになるために行動していた。行動する人の周りには磁力が発生して、新しい人脈や偶発的な出来事が引き寄せられて渦になる。竜巻の大小は関係なく、そのとき中心にいた人は、すでに何者かになっている。
アイドルを辞めた後も、 彼女は大学時代から好きだと言っていた歌手と共演したり、自作の曲を発表したりして活動を続けている。もちろん生まれつきの容姿や才能や運という要素もあるけれど、私と彼女の決定的な違いは、矢面に立つ強さを持っているかどうかだと思う。
私はグルーピー気質である。自分は何もできないくせに面白そうな場所に出入りしては上澄みの業界知識を仕入れ、別の場所で小出しにする。それで面白がられると、なんとなく自分の生き方にも価値があるような気になって、一般的なまっとうな生活を送っている人がつまらなく思えてくる。かといって自発的に面白い活動をするわけでもない。同居人と話しているとそんな矮小な人間性を見透かされているようで辛かった。
この先どんな人生を歩もうと、彼女はいちばん若くて輝いていた時期に「ステージに立ったことのある人」で、今のままの私が何を言っても、Twitterや掲示板に連ねられたその他大勢の言葉以上の重みは無い。
矢面に立てる人に憧れる。地下アイドルにもストリップ嬢にも、どこかでぬぐえない敗北感を感じる。私にはできない。顔に自信がないから、太ってるから、人前で上手に振舞えないから、何より私のような奴に馬鹿にされるのが怖いから、やれないのだ。
子供のころからずっと、作家になりたいと思っていた。たくさん本を読んで文学部に入った。普通に就職したくなくて院に進んだ。自分で小説を書こうとして、書けなかった。やっと書き上げて応募した児童文学は一次審査で落ちた。
実りのない院生活が終わり、どうしても出版社に入りたくて、非正規雇用で潜り込んだ会社は刺激にあふれていた。毎日すごいスピードで魅力的な本が刷り上がり、文化的な情報が次々と舞い込んでくる。
ここにいればきっと何か起こると思った。自活の道が拓けると思った。
1年半が過ぎて、私は未だグルーピーのままである。ろくに文章も書かず、子供のお使いのようなことをして小遣いを稼ぐ契約期間も来月で折り返しだ。
何かしなくてはと焦るだけで、何をすればいいのかわからない。夏の終わりに気が急いて、どうしようもない現状を言語化した。
もうすでに恥ずかしくなっているけれど、何もしないよりはマシだと思う。